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私たちは常に、自分のレッスンを学ぶための完璧な場所にいる(エンパスの学びは、自分と他者を尊重する事にある)

私たちはつねに、自分のレッスンを学ぶための完璧な場所にいる

参考:傷つくならばそれは愛ではない チャック・スペザーノ博士

この世の中の悩みのほとんどは、人間関係と言われています。なぜ?このようなことが起きたのだろう??なぜこの人と出会ったのだろう?なぜこうなったのだろう?と思うことありますよねぇ。人に対して、なぜ?と疑問に思った時、おすすめなのが、心理学の本です。自分も、他人も尊重することができれば、相手の課題を引き受けすぎず、人間関係が、軽く軽く、整っていきます。

心理学の本を読み漁った20代

心理学系の本との出会いは、忘れもしない20代前半の頃。平気でうそをつく人たち、という本です。市立図書館で、タイトルに惹かれて、借りて、読んだ本。その頃から発達障害、人格障害系の本は結構読みました。学生時代は、与えられた教科書(発達心理学、教育心理学など)心理学の基礎を学びましたが、それらは単位のために学んだものであって、知識に対する積極性がありませんでした。社会に出て人生に迷った時に、自分でどうにかしようと、本を選び、読むという経験は、何かしらの答え(導き)が欲しいという積極性があります。だから、探すのです。その本の中から。その本の中にある一文を発見し、癒されたり、気付いたり、感銘を受けたり。

先日、メンタリストDaigoさんがTwitter上での自称彼女騒動の時に、Daigoさんが動画の中で、この本の文庫本についてチラッと紹介されていました。(文庫本・平気でうそをつく人たち

世の中には平気で人を欺いて陥れる“邪悪な人間”がいる。そして、彼らには罪悪感というものがない―精神科医でカウンセラーを務める著者が診察室で出会った、虚偽に満ちた邪悪な心をもつ人たちとの会話を再現し、その巧妙な自己正当化のための嘘の手口と強烈なナルシシズムを浮き彫りにしていく。人間の悪を初めて科学的に究明した本書は、人の心の闇に迫り、人間心理の固定概念をくつがえした大ベストセラー作品である。
参考:平気でうそをつく人たち Amazonページ 内容より。  スコット・ペック 著)

 

罪悪感がないと、嘘をつきやすい。

多分ね、嘘をつく習慣のない人は、嘘の話を真に受けてしまう傾向があります。嘘やハッタリへの免疫がないというか。嘘をつく人達は、嘘を真に受ける人たちを見抜くのが得意です。平気でうそをつく人たちの本の内容ページでは、”世の中には平気で人を欺いて人を陥れる人がいて、その様な人たちの特徴は罪悪感がない”と書かれています。罪悪感は、魂を癒すことを視野に入れた人にとって、セルフヒーリングの重要なテーマになります。ちなみに、罪悪感の根っこは、アトランティス時代にその痕がある場合がとても多いです。過剰な罪悪感を感じて、自分を制限したり、自分を罰する必要はありませんが、罪悪感の下には、相手への想いがあったり、配慮があったりするものです。気持ちがある。だから、罪悪感で苦しむわけですね。気持ちがなかったら、苦しむこともないでしょう。その反対に、罪悪感が皆無だとしたら、、、何が起きても自分は悪くない!という自己正当化に人生のほとんどを費やすことになります。罪悪感という感情をどう扱うかに、人間性が出ます。

全ての人間関係は、バランスを学ぶ為に出会う。

罪悪感が強い人は、罪悪感で人をコントロールする傾向がある人を引き寄せる傾向にあります。責任感が強い人は、無責任な人を引き寄せます。自立的な人は、依存的な人を引き寄せます。なぜでしょうか?それは、バランスを学ぶ為です。そして、多様性を学ぶ為。心理学の本は、辛辣な言葉でズバっと書かれていた方が好きなので、加藤諦三さんの本も大好きです。大好きすぎるので、また別途紹介をしたいと思います。

フィーリングは、本質的な好き&嫌いを教えてくれる。

自分の気持ちがわからない・・そんな時代が私にもありました。エンパス系の人は、人との境界線が薄く、この気持ちは自分の気持ちなのか、相手の気持ちなのかわからない、そんな傾向があります。40代半ばになって、そろそろいい加減に、”人”の多様性を理解できる様になり、そしてその多様性を尊重できるようになってきました。この尊重する感覚こそ、私に必要なフィーリングでした。自分も他者も尊重できるようになると、自分の中にある好きという感覚がどんどん成長していきます。こんな人と一緒にいると気持ちが安まるなぁ・・この人と一緒にいると本音がスルスルと出てくるなぁ・・この人といると素の自分を晒け出せるなぁ・・この人といるとリラックスできるなぁ・・そのフィーリングこそが、好き♡のサインだったのだと。

それは愛なのか、犠牲なのか、執着なのか

愛って言葉は大変難しいと思うのですね。この世は愛についての学びです。年々、愛への理解は、私なりには、深めているつもりです。愛を偽装した執着が物事を滞らせることも。自己犠牲が伴う要求の関係が、やがて破綻することも。共依存がお互いの成長を止めてしまうことも。

この記事のタイトルは、チャック・スペザーノ博士 『傷つくならばそれは愛ではない』という本からの引用です。私たちは幼少期の環境などによって、自分自身の価値を歪めてしまっている事がとても多いのす。犠牲を愛の行為だと思ってしまったり、支配されることで愛されていると感じてしまったり。本当の愛とは、耳障りの良い甘い言葉ではなく、時として、耳が痛くなるな言葉でもあります。自己価値が低いと、その違いを理解することができません。結果、何度も偽りの愛に振り回されてします。特に、自分の気持ちを横に置き、目の前の人を優先してしまうエンパス傾向のある人には、この本がおすすめです。一部引用します。

(祝福は、犠牲の解毒剤)
 自分を犠牲にしている時、私たちは自分に何の価値も認めていません。自分が相手と対等であるとはとても感じられないので、自分自身を捨て、相手の為だけに行動してしまうのです。祝福は犠牲の反対です。それは相手や、その状況がうまくいくようにという願いなのです。祝福するというのは、このように言う事です。「私には力があります。この状況で私にできることがあります。自分が犠牲するのではなく、祝福を与えます。それによってこの状況がよくなることでしょう」
 あなたのエネルギーと愛、そして「よくなりますように」という願いを贈ることによって、自分を捨てなければならなかった犠牲的な状況を、あなたが変えるのです。       (参考:傷つくならばそれは愛ではない チャック・スペザーノ博士)

 自己犠牲のパターンがある方は、自分の価値を認めていません。いつか自分の抑圧が爆発していき、取り返しがつかないほど、人との関係を破壊してしまうことがあります。そういう波動を自分が発することで、誰かの上に立ちたい人を、引き寄せてしまうのです。そして奉仕をし過ぎてしまう・・。自己犠牲というのは、苦行の様なものなので、いつか”これ以上は無理”と思う瞬間がやってきます。

私たちは、人を通して、鏡のように映し出された自分を理解していきます。この世での、バランスを学んでいます。自分を知ることで、ハッと気づくことができるのです。自分が気づけば、不思議なもので、相手も気づくチャンスが与えられます。

”太陽系意識で、魂プラン創造”を実践中。内面の美はオーラで輝くがモットー。特技は透視。ヒーリング の先生11年目。

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